スミックとの出会いが 地元への想いを掻き立てた
スミックとの出会いが地元への想いを掻き立てた
関東の大学を卒業し、新潟に戻ることに決めたのは、紛れもなくスミックとの出会いがきっかけだ。スミックに出会ったのは、就活を始めたころ。 関東で就職するか地元の新潟に戻るか曖昧だったが、選択肢を狭める必要はないな、と思い、Uターンも含めて考え始めたころだった。 会社説明会で、気軽に相談にのってくれる採用担当者の雰囲気がとても良かったのと、研修制度が10ヶ月という手厚さから、人を大事にする企業だと感じた。 そんな印象は、訪問回数が多くなっても変わることはなかった。 話を聞いていくうちに、社内の風通しの良さにも惹かれていった。 新潟県は、就活生に対し交通費を負担するなど、Uターン就職に力を入れていて、新潟で生まれ育った身としては嬉しい支援だった。 関東の大学を出たのだから、そのまま都心で就職してもよかったかもしれない。 しかし、スミックとの出会いを通じて、私の想いはいつの間にか”地元のために、地元の企業で働きたい”という想いに変わっていった。
イレギュラーなチャレンジ
建築会社や工務店といったビルダーさんや、販売店さんに建築資材の提案・販売・納品をするのが営業である私の仕事だ。 新規顧客でない限りは、基本的に前任から引き継いだお客様を担当することになっている。 1年目は、比較的小さい規模のお客様を30〜40件担当したが、2年目は20件前後になった代わりにお客様の規模が大きくなった。 社員数や建設数が多くなり、比例して発注ボリュームも大きくなった。 通常スミックでは、キャリアのステップアップを考えて、数年に一度のスパンで行われる担当変更だが、先輩の異動を機に1年で変わることになった。 家を建てるために必要な資材すべてと言っていいほど商材が多く、知識も経験もまだまだ足りない状態でのチャレンジ。 先輩に教えてもらうことはできても、お客様と対峙するのは自分だ。何かあったときの責任は自分にある。業務量、プレッシャー、目標数字が重くのしかかった。 通常業務と並行して動いている現場を引き継ぐため、忙しさが重なると業務量が多くパンクしそうになる。
経験がないからできないなんて、そんなわけないだろう
あるとき、工事の段取りミスで、工期を遅らせてしまった。 担当が変わってすぐは、お客様のやり方や求めるものが全くわからない。 原因は、同じ商品でもお客様によって納期もやり方も違うのに、同じように進めてしまっていたことにある。お客様が求めていたスピード感に合わせることができず、怒らせてしまった。 「これじゃ間に合わない。もっと現場に来て管理しなきゃダメだ」 何より悔しかったのは、自分の知識不足によってお客様の希望に添えなかったこと。 それからは、お客様に納期の共有を徹底するようになった。 ショールームや現場で、自分の目で見ることにこだわった。 カタログを読むだけでは分からない部分は、実際に行って触ってみた。 ある日、お客様が用意した発注書を確認していたところ、不備が見つかった。 そのまま発注してしまうと、後で必要な商品が足りないと気づく事態になっていた。 今までの自分であれば、お客様からもらった資料だから、と鵜呑みにしていただろう。 確認する少しの時間を惜しまず、トラブル回避できた瞬間だった。 最近では、現場で質問されたとき、持っている知識で回答できると成長を実感する。 できることはまだまだ少ないが、お客様に対して真摯でありたい。 嘘をつかないとか、できる限り答えるようにするとか、返信を早くするとか。 信頼は、そんな小さなことから生まれる。 「キミに任せればいけるでしょ」 お客様はそう言って私に笑いかけた。