東海大学工学部建築学科への進学を機に新潟を離れた川内さん。
「建築業をしていた祖父の影響もあるのか、もともとモノを作るのが好きでした。小学2年生のときに父親と鶏小屋を作ったのは、今でもいい思い出ですね」。
建築を学んでいた川内さんも、就職活動を開始しないといけない年齢。そんなとき、父親からあるアドバイスがあったそうです。
「地元企業の合同説明会があるから、参加してみたらどうだ?」。
長男の自分は、いずれ故郷に戻らないといけない。そう考えていた川内さんは、合同説明会で湯沢町に本社を構える森下組を知り、 入社試験を受け、合格。東京支店に配属されました。
東京支店ではマンションや新築物件の写真撮影など、仕事の流れを学んだという川内さん。学生時代を含めて、約6年の東京生活を振り返ります。
「僕にとって東京は住むところじゃなかった。移動は電車。現場が遠いときは、朝5時の始発に乗り終電で帰ってくる。家で寝て起きて、仕事に行っての繰り返し。 友人との付き合いも楽しいんだけど、なんだか希薄さがあるような感じもしました。人とのつながりがそっけないというか。だから、楽しい場所ではあったけど、僕には合いませんでしたね」。
5年前から本社勤務となり、現在、JR越後湯沢駅に隣接する公衆トイレの改築現場で現場監督を務めている川内さん。現場を任されるのは今回が初とのことで、今までとは違う重圧もあるそうです。
「学生のころは、現場監督は指揮するのが仕事だと思っていました。でも、実際の現場監督は仕事が多く、こんなに動くのかと、入社当時の現場視察で戸惑いました。業者間の調整や、安全性の確保、図面引きなど、いろいろと大変です」。
さらに話を伺うと、東京では経験できなかった仕事ができていて、充実感があると続けてくれました。 「本社では南魚沼市や国交省など行政関連の仕事を担当するようになりました。皆さんが使うものを造っていると、人のために働いているって実感でき、うれしいです」。
そんな川内さんですが、2年前に地元・南魚沼市出身の奥様と結婚。一歳半の長女、生まれて半年の長男とともにご実家で生活されています。
「実家のある地域は昔から近所付き合いが濃いところ。あいさつ含め、常に声を掛けてくれたり、何かと気にしてくれている。人を感じられる空気が僕には合っていると思うんです。 そういう環境の中で子育てができているというのは本当にありがたいことです。こっちに戻ってきていなかったら、妻とも出会えていないし、結婚だってしていなかったかもしれない。そう考えると、僕のUターンは正解だったと思います」。
「JR越後湯沢駅は上越新幹線が停車。東京まで約1時間半で行けるのに、これだけ自然豊かな場所はほかにないんじゃないですかね。本当に子どもを育てるには最適な場所だって思っています」。
今、お子さんたちと楽しんでいるというのが、川遊び。 「家の側の川で自分も一緒になって遊んでます。子どもたちがキャッキャ言いながら遊ぶのを見ると、ついつい口元、目元が緩みます」。